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初めてのホームステイはアメリカのオレゴン州で2週間、ワシントン州で2週間だった。

20歳だったと思う。大学時代に家庭教師のアルバイトをしてお金を貯めていた。友人はパック旅行に行くという。私もそのつもりでいた。 しかし、占い八卦にこっていた母が

占い師にどうしてもこの夏は行かせるなと言われた。母に止められた私は、それならば一人で行こうと一緒に聖書を勉強していたアメリカ人の宣教師さんにお願いした。 食費だけで家事を手伝いすればホームステイさせてくださる家が見つかった。 手紙をやりとりし、いろいろ準備し、春に発った。メールなどなかったから手紙で空港に迎えにきてもらうようにお願いし、私の名前プラカードも下げてもらうことになった。 初めての飛行機だった。 難民の方々の中に一人入れられ、長時間の飛行中全く眠ることができなかった。彼らのつけている香料が鼻につきとても眠ることなどできなかった。 ワシントン州につき、高校の美術の生成をしている30代の女性が本当にプラカードを下げて迎えてくれた。

うれしかった。 初めて見る広大なアメリカの土地、ハイウェイーー。コンドミニアムに住んでいるという。 なんと大きな一軒家でゲスト用の部屋にはバストイレも完備されていた。 カルチャーショックだった。 なんて大きな国だろうと思った。 英国王室のファンでダイアナ妃の写真が至るところあった。 その日は時差ぼけでゆっくり眠った。 翌日から家事手伝いをしたのだが、ほとんど電気がやってしまうので、これといってすることがない。 大きな洗濯機。 どんなに晴れていても回り続ける衣類乾燥機。 巨大な冷蔵庫と食品貯蔵庫。 コンロは電気で太いコイルがぐるぐる巻いていた。 スパーに行けば巨大な食べ物。 牛乳が1ガロンという単位で売られているのもびっくりだった。